酷暑、猛残暑 ::: 2018.08.26 Sunday
- Tomoko Arahori
- 2020年7月31日
- 読了時間: 4分

残暑お見舞い申し上げます。ずいぶん久しぶりの投稿となりました。おかわりございませんか?この夏、私はあのツーランスクイズの逆転劇を見てからというものの、金足農業高校に目が釘付けで、まだ甲子園ロス、金足ロスなう状態です。(笑)いいですね。青春。この子達、卒業し、大人になって、それぞれの道へ進んでも、この固い絆は永遠。
再び集えばすぐこの日に、昨日の今日のように戻れる。
3年間練習を積んで頑張ってきた日々の努力が甲子園出場、そして準優勝というご褒美。でも、それは今現在の自分のみならず、ずっと続く素晴らしい友情もまた未来の自分へのご褒美。
いつか彼らも大人になった時、気付く時が来るでしょう。集まってお酒飲みながらとか。ものすごく幸せな気持ちになるよー、楽しみだね、とテレビの彼らの清らかな涙に向かって思ってました。
写真は、宮崎県の高千穂峡です。お盆前にやってきていた台風と入れ違いに熊本へ入り、脚を伸ばしてきました。
滴る緑の中、マイナスイオンたっぷりで気分上々。湿度もたっぷりでお肌もしっとり。でも髪の毛はボッサリ膨張しました。(笑)
ボートにも乗りたかったのですが、90分待ちだったので諦め、そのかわり,渓谷のずいぶん上の方まで登ってきました。
近くにいくつか池があり、誰かがキャビアだというので、ふと見たらチョウザメの泳いでいる池でした。初めて見ました、キャビアのお母さん。私はイクラの方が好き、と失礼なことを思いつつ。

熊本は趣のある石橋が多く、日本の眼鏡橋の96パーセントが九州に分布し、その約半数が熊本にあるそうです。
その理由は種山石工と呼ばれる眼鏡橋の技術集団が熊本の種山村(現八代市)にあったから。
種山石工の始祖は、藤原林七という武士。
長崎奉行所勤めの折に円周率をひそかに学んだ彼は、武士の身分を捨てて種山村に移り住み、3人の息子たちに持てる知識と技術をすべて教え込んだとそうです。
小学校で円周率を教えてもらえた私ですが、理系とは脳がかけ離れているのでどうやったらこういう橋がつくるのか全く分かりません。まずはどこから何から始めるのでしょうね。工学部出身のかたはご存知なのでしょうね。
そういえば以前、TOKIOのダッシュ島でミニミニ眼鏡橋の制作場面、ちょっと見た気がします。
でも、江戸の時代の人がこれを作ったのです。素晴らしいの一言。写真では全身が見えませんが、この橋は3方向眼鏡橋なのです。写真を撮っていた時、河原の向こうでペットの柴犬を川に慣れさせたくて一生懸命おもちゃで誘ってるご家族がいらっしゃいましたが柴犬ちゃん、断固として断固として、絶対拒否で、全身で抵抗していました。かわいかった。
種山石工は、東京の旧二重橋、日本橋も制作したそうです。


天草半島です。とてもきれいな海でした。
世界遺産に指定された下天草の崎津集落に興味があったのですが、半島の付け根から先端まで、片道4時間近くかかるので断念。海の幸はとても美味しくて、すぐ帰京するならいろいろ買いたかったのですが、滞在中だったのでひじき、ふのり,干しタコなど乾物をお土産に。柑橘とだけ書かれてビニール袋に10個入って100円で売られていたゴルフ大のみかんも見つけて買いました。てっきりカボスかスダチか、もしくは自然交配の名もない酸っぱい系のみかんで、お料理に使えるだろうと思ったのですが、

自宅に戻ってきて数日後、切ってみたら、あのおなじみの青いミカンだったのでした。
キュウリの酢の物を作っている時で、冷蔵庫から取り出し、皮を薄く削いだことろ
予期していた鮮烈な香りが立ち昇らず、不審に思って鼻を近づけたらなんだか知っている懐かしい香りが。。。半分に割って目に飛び込んできた断面も意図していた薄黄色ではなくオレンジ色。こ、これは。。。まさかもしや。。。と思って食べてみたら、まさしく青いミカン。あの青いミカンでした。青いミカンをこんなに早く食べられるとは思わず料理には使えませんでしたがうれしかったです。



干しだこは説明通り戻してタコ飯に。
美味しかったです。(^^)
干しだこ君。干すとなぜ風味が増すのでしょうね。
生のタコも美味しいけれど、干しだこも美味しい。
するめの親戚のような感じ


干したけのこも面白そうだったので。熊本の名産だそうです。
戻してみたら、たけのこというよりも、もう竹に近づいているような感じ。煮物にしました。
歯ごたえのあるメンマのような美味しい食感でした。☆

この日はさらっとした風の吹く涼しい日で、秋の気配のする夕方の空で、もう夏も終わりかな、なんて思いましたが。。。
甘かったです。(笑)
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